サラリーマン定年と老後を考える

シルバー世代への応援歌
如何にして生きるのか? 人生とは? 幸せとは?
超高齢化社会の到来とともに今現代日本で起こっている諸問題を考えます。
老後破産、老後難民、下流老人、孤独死、放置死、熟年離婚、人間関係の希薄さはどうして起こるのか? いったいどう対処すればいいのか? どのように生きればよいのか? 釈元浄が独特の感性で切り込みます。

定年後の夫婦関係の問題

人生は一見複雑な要素が絡み合いもつれ合い作られている
だがよく透かして見れば単純な元素に支配されているだけなのだ
その元素はビクともしない、変えることは出来ないし動かすことも出来ない
日本国憲法第9条のようなものだ
人はどう転んでもどんなに頑張っても人生の土台にある
元素には勝てないのだ、動かすことさえ出来ない
その基本を理解することだ
そのうえで何をやりどう生きるのかだ
 
人生の基本元素は
毎日を我慢することではなく、毎日を楽しむことだ
また面白くもないことをやらされることではなく
好きなことをやることだ
 
次に自分を主張しぶつかり合うことではなく
自分を主張しながら相手を理解することだ
人と会い交わることだ
 
わたしの為だけではなくあなたの為にもなりますよと
言い切ることだ
そして信じてもらうことだ
騙されてもいいと直感的に思わせることだ
もちろん誤解なきよう言うが
人を騙したり裏切ったりしてはいけない
騙すのと信じさすのとでは全然質が違うのだから
体を張って、命をかけてでもけっして相手を裏切らない
一度裏切ればその相手との関係は終わったのも同然だ
二度と覆水盆には帰らず
夫婦間も同じ、恋人同士、友人同士も同じだ
絶対に相手を裏切ってはいけない
何故裏切ってはいけないかと言えば
その関係はもう二度と元に戻らなくなってしまうからだ
 
寸前のところで踏ん張る、ほとんどが見透かされていても踏ん張る
そこが腕の見せ処だ
 
人生において人を裏切ってもいけないが裏切られてもいけない
どっちもどっち痛手は計り知れない
『覆水盆に戻らず』
人生においてこれほどの後退があるのか
今まで積み重ねてきたものが崩れ去り
一から、いやマイナスからのスタートになってしまう
人生はすごろくゲームではない
【振り出しに戻る】もなければ【リセットボタン】もない
転んだなら先に行かれるだけだ、取り残されてしまう
始めからのやり直しはないのだから
今日の朝からのやり直しは出来ても
昨日からのやり直しは不可能だ
修復不可能なものは捨てていくしかない
 
人生で怖いのは置いて行かれれば二度と追いつくことが出来ないところにある
あくまでもゲームやスポーツの世界では上手くやれば追いつくことも瞬間にして抜き去ることも可能だ、だからゲームは面白い
だがリアル人生においては、基本的にそれは出来ないこと、不可能なことなのだ
そういう元素が根底にあるのだからしょうがない
それを知ったうえで人生を生きなければならない
 
そして人生の最大の敵はストレスだ
過大なストレスはあなたのすべてを蝕む
本能のままに生きる人に病気はない
たとえ不摂生を重ね病気になったとしても
後悔などせず開き直れる、自分自身に対しては素直になれるし
諦めることも出来る、臨機応変の術だ
 
根底にある元素記号だけ理解できれば
あとは表面で好きなように動き廻っても失敗などしない
そもそも失敗の観念すら持っていない
 
そういう人間は人には気前よく驕るが、人から驕ってもらうのは大嫌いだ
酒は好きだが驕ってもらうくらいなら酒など飲まないし飲みにも行かない
誘われたならば最低割り勘
こちらから誘えば、全部ではないが相手よりも多めに出す
それが元素だ
 
わたしのライフスタイルは
朝起きて、仕事して、運動して、酒を飲んで、そして書く
たまの休日は女房と映画見て飯食って、そして書く
 
もうそれだけでいい
それの繰り返しでいい
 
毎日毎日同じことをして同じように生きる
同じことをして同じように生きることが好きなのだ
 
わたしは同じ人間としか飲まないし付き合わない
わたしは同じことしかやらないし同じところにしか行かない
わたしは同じ毎日しか送らない
 
わたしは同じことをするのが好きなのだ
 
サラリーマンの最大の欠点は同じところにいつまでもいられないということだ
紙切れ一枚であっちに行けこっちに行けと転勤や部署替えを命じられる
断れない
もう一つせっかく育てた部下といつまでも一緒には働かせてくれない
やはり紙切れ一枚で離ればなれ、昨日の友が今日の敵に変わる
本人の意思とは関係なしに
 
ようするに紙切れ一枚で人生を変えられてしまうということだ
完全なる自己否定の世界だ
 
わたしはサラリーマンの世界を完全に否定する
そうすることでかろうじてサラリーマンとして生き延びてこられた
その心構えがサラリーマンを捨てる足掛かりも作った
(まだしがみついているが)
 
わたしは人を簡単に信じるが、世の中のシステムは信じない
世の中のシステムこそコンプライアンスを振りかざす
正義の仮面をかぶった必要悪だ
皆は洗脳されているのだ
システムを肯定しなければ生きていけないのではないか
幸せになれないのではないかと
だが世の中のシステムほど正義の仮面をかぶったまま矛盾しているものはない
人は世の中のシステムに生かされているわけではない
自分で自分の考えで自分の力で生きているのだ
世の中のシステムなどは交差点にある信号機のようなものだ
守った方がいい、だが仕方なく守っているだけなのだ、自分の身を守るために
だが矛盾を正義と解釈してはいけない
あくまでも矛盾は矛盾であって正義ではなく悪なのだ
守るべきものではなく、仕方なしに守っているものなのだ
しかし妄信的に従うととんでもないしっぺ返しが待っているであろう
 
世の中のシステムは人間関係の敵だが仕方なく守る
しかし本当に守らなくてはいけないのは人と人とのつながりではないだろうか
 
もっと簡単に説明すれば
壊してはいけないのは世の中のシステムではなしに人間関係だということだ
 
素晴らしいお墓……
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サラリーマンの定年後の人生

<老後を考える>
もうそのような歳なのか
だが今日もまた老後を考えてしまう
 
もしかしたら日本人の99%は自分の老後を毎日考えながら生きているのではないのか?
老後のために何をすればいいのか
どうする定年後の人生
老後の蓄え、老後破産したらどうしよう
失敗したら老後貧困の仲間入り
老人漂流社会、下流老人、老後難民、孤独死、放置死、老後餓死……
 
若いうちからそのようなことばかり心配しながら生きている
人生を楽しめるはずがない
今が一番楽しいのに、楽しもうともしない
充実しているはずの日常が、老後の心配で埋め尽くされる
 
人生に老後が重くのしかかる
所詮、老後などはおまけみたいなものなのに
こんなことを言ったらなんだが
自分などさっさと70歳ぐらいで死んだ方がいいと思えてくる
 
老後の蓄えは最低3000万円必要ですよ
まともに生きてきた我々にいったいどこにそんな金がある
こんなことを書いたら、俺はかろうじて3000万円持っているから
中流だ、などと勘違いし優越感を持つ輩が出てくる
 
まったくの勘違いだ、3000万円持っていたら偉いのか
人間の価値は預貯金の多さではない中身だ
しかしそんな言葉が通用しない時代になっているのかもしれない
寂しいことだ
 
だがいろいろ考えすぎると
老後などもうどうでもよくなってしまうのも事実だ
老後になれば半分惚けてしまうのかもしれない
惚けなくともフラフラになるのは事実だ
ボーと西の空ばかり見ているのかもしれない
それでもそんな毎日に何も感じなくなってしまうのかも
 
ようするに老後などあまり考えすぎてもいけないのだ
(しかしわたしは老後を考えるのが趣味みたいなものだけれど)
 
今も楽しく、老後も楽しく
それが一番幸せな人生だ
今が楽しくなくて、老後だけが楽しいはずがない
少なくとも今よりは(体力、気力、資金力の面から言っても)
楽しくなくなるのは間違いないのだから
 
会社など60歳できっちりやめてやろう
これが普通のサラリーマンの合言葉みたいになってしまっている
だが皆やめられないのだ
勇気のある人間は62歳か63歳で辞めていく
お金の心配を抱えながら
 
 
 
 
現に誰もが3000万円握りしめて老後を迎えようとする
俺は持っていない奴らより少し上流なのだと
 
だがようするに頑張るしかないのだ
今も老後も死ぬ間際まで
楽をしたいなどと思うからいけないのかもしれない
人間楽をし過ぎると余計に不調を感じる
そもそも楽な人生なんてものはあり得ないのだ
人それぞれ何か問題を抱えてしまうものなのだ
何もないというのもまた問題なのかもしれない
 
すべての病気の原因はストレスからくるといわれている
それに気力、精神力、やる気が失せたとき
人はガタッときてしまい急に老けこみ病気になる
細胞が急激に死んでしまうのだ
老化現象が起こる
ようするに人は今も、死ぬまでもずっと
やりたいことを頑張ってやって生きていくしかないのではないのか
「何がやりたいのか?」
「何が好きなのか?」
「どうなりたいのか?」
この3つを忘れないことだ
 
人は本当に好きなことはそういくつもあるわけではない
無理をしてあれもこれもやらなくてもいいのではないのか
本当に好きなことを一つだけやり続ければいいのだ
朝から晩まで毎日欠かさず
それだけで元気に生きていけるはずだ
他人がやっているから、面白そうだから、やらなければ取り残される
大金持ちは皆、ワインを収集し、クルーザーを買う
決まってそうだ
ワインとクルーザーは金持ちのステータスなのだ
ステータスに踊らされていては
本当の自分は何なのか? 本当の自分はどこに居るのか?
見失ってしまうのではないのか
それこそみじめな人生だ
 
自分をしっかり持つことだ
「自分の人生は自分で決める」
いい意味で我を強く持つこと
現代社会こそ自我を進めたい
禅でいう無我の境地は、裏を返せば非常に強力な自我のことかもしれない
 
脳力と戦う、脳力を使い切る、脳力マラソン
自分の限界に挑戦しよう
脳細胞が崩壊するまで
 
マラソンはまさに限界への挑戦そのものだ
体力、気力、忍耐力、持続力、瞬発力、精神力、等
もしかしたらそこに惹かれるのか、ライナーズハイ
登山もそうだ、死への挑戦、限界への挑戦だ
クライマーズハイ
書くことも、もしかしたら限界への挑戦なのかもしれない
『ライターズハイ』
 
限界を超えると何かが見えてくる
まさに禅の座禅と同じだ
悟りが見える、大悟する
『ザゼナーズハイ』だ
 
わたしはこのまま朝まででも書き続けられるであろう
だがわたしも明日会社がある身、もうこのへんで寝よう、夜中の一時だ
 
ゴルフも楽しい
一日中毎日でもやっていられるほど好きだ
だが金にはならない
金にならなければそれほど一生懸命にはなれない
やり続ければ僅かでも金になること
それに越したものはない
 
<書いて、書いて、お金を手にして、そしてまた書いて>
 
人はもしかしたらどこかにたどり着くために生きているのかもしれない
それはけっして死ではない
死ぬまでに辿り着かなければいけないところがあるのだ
その人にとって探していた居場所が
聖地が、聖職が、聖域が
それは人それぞれ違うのだろう
昔の人はすべてを投げ出し、命がけで巡礼の旅に出た
聖なる場所を求めて
その人たちには聖なる場所は
己の人生よりも、己の命よりも大事なところだったに違いない
そこにたどり着くことが人生だったのだ
 
今日の格言
「朝起きて夜寝るまで、そして月曜から日曜まで、出来るだけ同じようにやることだ。それが上手くいく秘訣だ」
 
素晴らしいお墓……
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老後は妻との関係も希薄になる

他人との関係が希薄になる
家族との関係も希薄になる
妻との関係も希薄になる
すべては金の切れ目が縁の切れ目ということなのだろうか
金もなく、住む処もなく、仕事もない
認知症になった連れ合いの面倒を見る
素晴らしい夫婦愛だ
だがご自分の人生はどうするのか?
 
すべての不調の原因はストレスからくる
癌も脳卒中も肺炎も
すべての犯罪の原因は金の切れ目から起こる
また愛情のもつれ嫉妬、憎悪から起こる
愛情のもつれや嫉妬心さえも金の切れ目なのか
またストレスさえも金の切れ目から始まるのかもしれない
 
もしかしたらお金は現代社会において一番上位に来る必要悪なのかもしれない
金が無ければ思い通りの生活が出来ない
そうなれば生活はすさむ、生活がすさめば心もすさむ
嫉妬心、被害妄想、被害者意識、下流意識、絶望感、不安感、悲しみや淋しさ
それらの感情が交互に現れ決して消えない
 
人間どこで踏ん張るかだ
金を踏ん張るのか
それともすべて諦めたまま、惰性の生活を続けることに覚悟を決め踏ん張るのか
それともギリギリの生活を踏ん張るのか何とか浮上のきっかけを得るため踏ん張るのか
 
いまなんとなくわかりかけてきた
明日のビジョンに向かって
コツコツと毎日を生きる
毎日の生活リズムの献立を作り
着実に実行する
 
とどのつまりに人間が出来ることと言えば
限られているのだ
限界がある
 
素晴らしいお墓……
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