サラリーマン定年と老後を考える

シルバー世代への応援歌
如何にして生きるのか? 人生とは? 幸せとは?
超高齢化社会の到来とともに今現代日本で起こっている諸問題を考えます。
老後破産、老後難民、下流老人、孤独死、放置死、熟年離婚、人間関係の希薄さはどうして起こるのか? いったいどう対処すればいいのか? どのように生きればよいのか? 釈元浄が独特の感性で切り込みます。

老後の人生は分からない

【人生は】
 
これで良かったのかもしれないし
もしかしたらこれでは駄目だったのかもしれない
 
もしかしたらこれで精一杯だったのかもしれないし
いやいやまだまだ行けたのかもしれない
 
もっともっとうまくやれたのかもしれないし
もうこれ以上は所詮無理だったのかもしれない
 
人生は分からない
誰にも分らない
自分にも分からない
 
もしかしたらどこかに雲隠れしてしまったかもしれないし
いやいや精一杯虚勢を張ってこの場所に立っているのかもしれない
 
身を隠してしまうのか
それとも我慢して顔を晒して生き続けるのか
 
そんな風に
いったいどんな風に
生きて行くのか
 
すべてはお前の生き様で
すべてはお前の人生だから
出会いがあって
お前さえ遠ざからなければ
すべてはお前の目の前に雁首並べて揃っているのだから
それだけが髄一の人生での救いかもしれない
 
いつまでも いつまでも
お前さえ手を離さなければ
繋がっていられるのだから
 
人生は
無理をして、近づいて行けば、逃げていく
意識して、忘れようとすれば、追ってくる
そして、怖くなり、逃げ出そうとすれば、覆いかぶさってくる
人生はそのようなもの
 
もしかしたら結果には形などないのかもしれない
勝利にも形などないのかもしれない
 
敗者にも理由などなくて
勝者には美酒もない
 
もしかしたら私たちは、形のない空間の中を
形など本当はありもしないものを追いかけて
虚しく人生を擦り減らしているだけなのか
 
空虚の中で無を追いかけては
右にふらふら、左にふらふらしているだけ
存在するのは
誰かに愛されているという実感だけ
あるのは
誰かに頼られ愛されているという実感だけが
髄一の真実だとしたら
 
心の拠りどころは
誰かに頼られ愛されているという実感だけ
 
当たり前のことを当たり前にやっていれば
人生は
当たり前のように当たり前に過ぎていく
そして当たり前に終わってしまう
 
そんなものに形などないし
結果や勝利などもない
 
歩きたいときには両足を交互に動かすだけ
その他のことは何一つ考える必要もないのだから
 
暖かな布団で眠りたいのならば
暖かな布団を買わなければならないし
布団を買うために働かなくてはならない
 
見晴らしのいい高台の家に住みたければ
尚更一生懸命に働かなくてはならない
 
誰かに頼られ愛されたいと思ったならば
どんなに苦しくとも歯を食いしばって
愛する者の手を絶対に離してはいけないのだ
その手を離したとたんに
人生はますます空虚になって
そのうちに消えてなくなってしまうから
人生には初めから形などないのだ
 
人生とは それだけのもの
人の弱さとは
誰かに頼りたくなってしまう弱さだから
いつかそのうち白馬の王子が現れて私をこの世界から連れ出してくれると
考えてしまう
 
人生に形がないように
白馬の王子など空虚そのものなのだ
人生に白馬の王子など現れずとも
自分が誰かの白馬の王子になることは出来るのかもしれない
 
いくら会社を大きくして巨万の富を得ようとも
いくら粉骨割いて働いて出世し引退しようとも
そんなものは狭い世界だけでの話だ
砂上の城だ、虚栄の無だ
 
誰かの白馬の王子になれるのか
たった一人の人間の魂を救うことが出来るのか
生きる価値はそこにあるのだから
 
「ああ、早く、助けに来てくれ」と
今日も誰かが叫んでいるのだから
 
その為にはまず虚念を捨てて両足を交互に動かさなければならない
 
人生は
虚であり
空であり
無だ
 
誰もが血眼になって
形のないものを追いかけているに過ぎないのだから
誰もがそのうち死んでしまい
骨になって土に帰る
 
この世に移る、この両目でみえるものすべて
形などない
あるのは魂だけ
魂だけが、人の体を借りて
動いているだけ
 
このお墓は素晴らしい……
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定年後の老後の慟哭

ただ一生懸命に生きて
ただ今日一日精一杯に生きて
今日を失敗しなければ明日もきっと上手くいく
何も思いわずらわずに
一日一日前に進むだけ
きっとそのうち上手くいくから
心の弱さを打ち消して
いや弱ささえ意識せずに
信じた道を疑うこともせずに歩むだけ
 
小細工無しで
策に溺れず
まっとうに一直線に
心に筋を一本通したならば
生き方に筋を一本通したならば
その筋をなぞりながら生きるだけ
 
もう何も考えない
思案しない
悩みもしない
思い煩わず
 
心の中の曲がったものを取り除いて
心の塵を落としたならば
心の曇りをすべて消し去った
右から左と流れてく
夢なのか幻なのか
悲しみなのか苦しさなのか
涙か慟哭か
心の叫びか
心のあがきか
寂しさも消し去った
心そのものを消し去った
 
もうわたしには何もない
守るべきものも捨て去るべきものも
何一つ残されてはいない
それでいい
人生はすべて消し去り裸になることだから
それでいい
男とはすべて失くしてもシャキッと立っていられるものだから
 
いつまでもどこまでも
こうやって
ここに座ってこうやって
一心に祈り捧げるものだから
 
男の仕事とは祈りのようなもの
まっさらな心に線を退く
どこまでも真っ直ぐな一本の線を
ただひたすら引いていく
 
もういいじゃない
そんなこと
どうでもいいじゃないの
いつかの祈りも通じずに
スターダストのごとく葬るだけ
人は誰もが最後にはスターダストのごとく葬去られるだけだから
涙にぬれて、涙も枯れて
寂しいものだから
 
素晴らしいお墓……
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老後の敵

わたしは今までいったい何をして、何と戦ってきたのだろう
人生ははかなく短い
初秋に流れる風のように
その心地良さはあっという間に吹き抜ける
 
いったい私は今まで何をしてきたのだろうか
通り抜けて
吹き抜けて
走り去って
しまうだけ人生は
 
もしかしたら、わたしの周りに集まるものすべて
わたしの友人であり
わたしの人生のすべてなのかもしれない
 
わたしはわたしの人生の為にわたしを捨てる
そうなのだ
わたしが生きていくのにわたしはいらないのだ
わたしの人生の中でわたしはほんの一部分でしかないのだ
わたしはいらないのだ
 
優しさが心にしみる
初秋の夕暮れにウォーキングすれば
夕陽とともにさわやかな風がわたしの体を吹き抜ける
その風だけが生きていることを実感することが出来るものかもしれない
 
ひとは死にたくないと想い悲しみに暮れる
人はまだまだやりたいことがあるのだと
抵抗も続ける
 
わたしがまだまだやりたいこととは
何であろう
もう少し歌いたい
もう少しお酒も飲みたい
妻と一緒に映画も見たい
はたしてその程度のことなのかもしれない
本当にやりたいこととは
 
読書をしたい
美味いものももう少し食べたい
もっとじっくり執筆もしたい
ひとが喜んでくれるような事業もしたい
 
確かにその程度のことなのだ
 
健康に気を使い
運動をして
すべてに楽しんで
遊んで
仕事も楽しんで
無理をせず
余裕をもって
穏やかに
緩やかに
温かく
優しく
 
生きていく
いつか死んでしまうまで
 
この歳になってわたしはもう一つ
人生の壁を乗り越えなければならないのかもしれない
「人生を生きるのは、敵と戦うより難しい」
「人生は自分との戦いだ」
これは横綱白鵬の言葉だ
素晴らしい
 
わたしがこの歳になってひとつ壁を乗り越えなければならないのは
まさにそういう壁なのだ
「自分と戦う」
これはまさに宗教的意味合いのある言葉だ
仏教の『無』や『空』に通じる言葉だ
 
「自分に勝つ、そして楽しんで生きる」
けっして怒らない、けっして悲しまない
自分と戦えば
それも可能だ
自分に勝てれば、どんな敵にも勝てる
自分に勝つ勇気があれば、どんなことでも上達できる
自分を打ち負かすことが出来れば
わたしの人生は成功を収められるだろう
 
《敵は自分だ》
《その他のものすべては、敵などではないのだ》
やりたいことをやりたいようにやって生きる
これからの自分の行動、自分の時間のすべてはわたしの人生の為にあるのだから
わたしはわたしの人生の為に楽しく生きる
それはけっしてわたし自身の為では無いのだ
 
このお墓は素晴らしい……
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