サラリーマン定年と老後を考える

シルバー世代への応援歌
如何にして生きるのか? 人生とは? 幸せとは?
超高齢化社会の到来とともに今現代日本で起こっている諸問題を考えます。
老後破産、老後難民、下流老人、孤独死、放置死、熟年離婚、人間関係の希薄さはどうして起こるのか? いったいどう対処すればいいのか? どのように生きればよいのか? 釈元浄が独特の感性で切り込みます。

老後の運の強さ

人は成りたいものに成ろうと思えば成れる
少しの才能と運の強さ、それに上手く立ち回ることさえ出来れば
人は何にでも成れる


しかし大多数の人が成りたいものに成れないのはなぜだろう
後もう一つどうしても成ろうとする強い意志が必要だからか
日本人にはその部分が大きく欠けているのかもしれない
周りに流され、妥協し、諦めてしまう


もし成りたい自分に成れなかったのだとしたら
やっぱり何かが足りなかった、それだけの話だ
それはそれで受け止めて前を向いて生きていくだけ


今のわたしは何がやりたいのかどう成りたいのか
よく分かっていないのかもしれない
ならば、いろいろなものを極めることに集中しよう


素晴らしいお墓……
 歴史と自然、見晴らしの個別区画型永代供養墓です
1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能
家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能
その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません


伊賀の里自然墓苑個別永代供養墓
http://iganosato.com/
lmg0806@outlook.com

老後の30年間

人生を生きる上では
自分なりのスタイルがいる
テーマがいる
朝起きて夜寝床につくまでの
時間割がいる


あと残り30年間これで生きるという
信念がいる
友がいる
連れ合いがいる


これで生きるという仕事がいる
死ぬまで続けられる仕事がいる
死ぬまで続けられる仕事を持った者が勝ちなのかもしれない


わたしにも
信念がある
夢もある
人生もある
生活もある


もし何かが足りないのだとしたらそれは何だ
勇気か
努力か
誠実さか


わたしは世の中のシニアの為に生きる
これから年々増え続けるシニアのサポートに人生をかける
ごく一握りの人間を喜ばすためにだけには絶対に生きない


人は生活の為に仕事をしている
仕事をする為に生きているのではない
しかし仕事をする為に生きているのだとすれば
その仕事とは人生を賭けるに値する
素晴らしいものではなくてはならない
仕事=人生=毎日の生活
いつか見たドラマのセリフにあった
「会社の売り上げに人生を賭けてきたような俺達には……」
これ程馬鹿らしいことはない、人生を無駄にしてしまっているのだ
仕事とは何かを残さなければならない
残す物は大きい方がいい
心に残るものの方がいい


素晴らしいお墓……
 歴史と自然、見晴らしの個別区画型永代供養墓です
1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能
家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能
その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません


伊賀の里自然墓苑個別永代供養墓
http://iganosato.com/
lmg0806@outlook.com

ノーベル文学賞と老後

ボブディランが75歳でノーベル文学賞を受賞した
彼の歌詞に込めた詩が評価された、ミュージシャンとしては初受賞だ
ローリングストーンズのミックジャガーが73歳で8人目となる父親になった
爺さん皆頑張っているではないか


頑張っている爺さんが増えているのと対照に社会的弱者も増えている。こちらは増大していると言ってもいい。日本人の富裕層と公務員、そして大企業の正社員以外ほとんどが今や弱者だ。弱者の年収はほとんどが200万円以下だろう、また弱者にはボーナス、昇給、退職金も無い、また将来貰える年金も国民年金のみで満額でも6万5千円だ。中小零細企業従業員、非正規労働者、高齢者、母子家庭などを足すと恐らく日本人の50%以上が弱者であろう、サラリーマンや元サラリーマン、定年退職者の中でも年々社会的弱者が急増しているように思う、どんどん社会的弱者の一歩手前まで押し込まれている、サラリーマンにも弱者に転落する危険要因は山ほどある。会社の倒産、リストラ、親の介護、子供のパラサイト、自らの病気、配偶者の病気等だ。決して他人事ではないのだ。
和田秀樹先生の「この国の冷たさの正体」と言う本の中に〝日本では弱い者いじめがマスコミを通じて社会全体に広がっている。その一つが生活保護受給者バッシングである。しかし生活保護バッシングをしているひとの将来が生活保護受給者になる確率は非常に高い、生活保護バッシングをしている場合ではないのだ″と書かれていた。まったくその通りだ。弱い者いじめをしている場合ではないのである。