サラリーマン定年と老後を考える

シルバー世代への応援歌
如何にして生きるのか? 人生とは? 幸せとは?
超高齢化社会の到来とともに今現代日本で起こっている諸問題を考えます。
老後破産、老後難民、下流老人、孤独死、放置死、熟年離婚、人間関係の希薄さはどうして起こるのか? いったいどう対処すればいいのか? どのように生きればよいのか? 釈元浄が独特の感性で切り込みます。

荒波

【勝負時】
 
夢は何だ?
なぜ生きている?
何がやりたいのか?
どうなりたいのか?
何が出来るのか?
 
狭い世界での中でじっとして生き続けるのか
それとも大海原に飛び出すのか
それとも地球さえ離れて大宇宙へ飛び立つのか
 
行って帰ってそれで人生が終わる
それでもいいのか
それとも止まったような時間の中で
背中をすぼめて低く目立たぬように息をひそめ
ただひたすら一か所で生き延びるのか
 
大事なものを失ってでも
強引に前に進むのか
それとも夢を捨ててただ穏やかに生きるのか
それとも夢も手に入れ、大事なものも守れるように
ギリギリまで粘るのか
 
すべてが上手くいくように
出来るだけ上手に立ち回るのか
そしてやっぱりギリギリまで粘るのか
 
何で勝負するのか
人生は何かで一度は勝負しなければならない
そしてどこかでは必ず勝負しなければならない
そして一度は勝たなければ
一生負け犬で終わってしまう
 
何で勝負するのかは
人それぞれ違う
男と女でも違う
女は結婚で勝負する時もある
男は仕事で勝負する時がある
 
今が勝負時なのか
私は今までじっとこの勝負時を待っていたのか
人生の終わりに近づき勝負時が訪れたのか
それも人生
勝負時も自分で決めなければならない
 
勝負時とは走るのが趣味で
市民ランナーとして大会に参加し完走するのとは
全然意味合いが違う
アマチュアのシニアゴルフの公式戦で優勝するのとも全然違う
趣味はあくまでも趣味だ
勝負時とは違う
勝負時とは
命を懸けても勝ちにいかなければいけないものだ
 
市民ランナーで完走すれば
周りの人間は皆応援してくれるだろう
だが本当の勝負時では
周りの人間が敵にさえなってしまう
必死で反対するかもしれない
それだけ重さが違う
 
市民ランナーとして大会に参加すると言っても
誰も反対する人間はいないだろう
だが白鵬が15歳でモンゴルから海を渡って
日本の相撲部屋に入門すると言ったら
周りの人間は皆反対したかもしれない
 
勝負時には反対はつきものなのだ
それも身近な人間が反対する
 
勝負時とは
重くて暗く、辛くてきついものなのかもしれない
なんとしてでも乗り越えなければならないものなのかもしれない
 
勝負時を乗り越えられた者だけが
少し人生を前に進めることが出来るのかもしれない
 
荒波をくぐり抜け、津波のような高波もくぐり抜け
周りの人間との摩擦や妨害もくぐり抜け
岸へ向かって泳ぎ続けなれば生き残れない
それが人生の勝負時なのだ
 
それでも人生の勝負時を
感じることの出来る者は幸せなのかもしれない
人生を前に進めようと思ったら
勝負時は決して避けてはいけない
勝負時を間違えてもいけない
自分勝手な勝負時を作り挑んでもいけない
しかし勝負時は人生では一回しか来ないかもしれない
都合よく何回も現れはしない
ただの一回も巡り会わないものもいるのかもしれない
その勝負時から逃げてしまい
一生後悔している者もいるのかもしれない……
 
続きは
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